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つくりごと



突然ミラーにそのバイクが大きく映った。
右側のすぐ後ろ。
排気音にはまったく気づかなかった。
慌てて前方に視線を戻す。道が左側に大きく切れこんでいた。私はコーナリングに備えるため左に腰を落とした。ブレーキング。前輪に荷重がかかったこと確認して、ブレーキを解放した。右足でタンクを押さえこむ。バイクは左に傾いたままきれいな弧を描いた。コーナーの三分の一を越えたあたりでスロットルを開けていく。バイクが徐々に立ち上がり、コーナーを脱出する。その時になってまたミラーに視線を走らせた。さっきより少し離れた位置にそのバイクが映っている。ツツっと抜きにかかってくるのが分かった。
短い直線。そして右ブラインドコーナー。私は後方のバイクに対してなんの作為もするつもりはない。抜くなら、抜けばいい。だがここで抜くのは少し無茶だ。距離が無さすぎる。
案の定、相手は速度を少し緩め、右側後方にまた身を潜めた。私はバイクを右にバンクさせ、コーナーに進入した。いつもの癖でセンターラインを跨ぎ越しそうになる。だから対向車のほとんどないこんな早朝に走っているのだ。
バイクを直立させてからちらっとミラーを見る。相変わらず同じような位置に付けている。イライラする。速度を緩めて先に行かせるか。そう思ったとき、次のコーナーが迫ってきた。進入し、抜ける。またもや短い直線。そしてコーナー。そんなことが繰り返される。しばらくはタイトなコーナーが連続している。パスするつもりならもう少し待ってもらわなければならない。あと五つほどコーナーを抜ければ比較的長い直線になる。それまでは大人しくしていてもらいたい。相手もそのことは知っているのか、右後方の位置から離れ、ミラーに映らなくなった。ケツについたのだ。いずれにしろうっとおしい。まるで背後から私の走りをチェックされているように感じる。
重心の移動が甘い。肩に力が入りすぎている。頭をそんなに傾けちゃあだめだ。もっと姿勢を低く、腹筋と背筋で体を支えるんだ。
そんな言葉が背中の真ん中あたりに突き刺さるように聞こえてくる。自意識過剰だ。思ったようなラインが取れなくなる。後ろで高笑いが響いているように感じる。
コーナーを抜けた。長めの直線が眼の前に広がる。もうすでに五つもコーナーを抜けたのか。ミラーを見る。ちょうど右側に出てくるところだった。排気音が高まる。
並びかかってくる。
その時私はスロットルを絞り上げた。自分でも意外な行動だった。追われれば、逃げたくなる。本能的なものだったのだろうか。スピードが乗る。少し離す。いや、離せない。並んだままだ。びんびんに張り詰めた神経がブンという音を立てて切れそうになる。これまでかと思ったとき右コーナーが近づいていた。アウト側にいる私の方が少し有利だ。相手が速度を緩めた。視野から消える。次の機会をうかがうためにだろう。だがすでにこちらには、次もつき合う気力は失せていた。コーナーを抜けたとき、ついに私の神経は音を立てて切れた。スロットルを戻す。道はまだ山をぬってずっと向こうまで続いていたが、左側に展望台への進入路があった。私は今日の目的地はここだと言わんばかりに速度を緩め、その道に入っていった。なだらかな短いスロープをのぼるとすぐに視界が開けた。展望台前の駐車場には何も止まっていなかった。風でほてりを冷ますように私は体を直立させ、バイクをゆっくりと走らせた。背中の骨がぎしぎしと音を立てているような気がした。
いい歳してよくやるよ。自嘲に顔が歪む。
だが、負けたわけではない。
つまらぬ負けん気が言い返す。どうしようもなくて苦笑でやりすごす。
駐車場の見晴らしのいい方にバイクを止めた。キーをひねると排気音があっけなく消える。キンキンというエンジンの冷えていく音だけが、さっきまでの余韻を伝えている。私はヘルメットを引きはがし、風の吹いてくる方向に顔を向けた。気持ちが良かった。春にはまだ間のある季節の中を吹く風は、冷たさをその底に宿して、歳がいもなく熱くなってしまった体を冷ましてくれる。
「けっこうやるじゃん、あんた」
自画自賛の言葉がわれ知らずつい口をついたのかと思った。だが次の言葉がすぐに追いかけてきた。
「そんな金持ちバイクに乗ってるから、たいしたことはないと思ったけど、お見逸れしたって感じだね」
若い声だった。見るとクルマ二台分ほど離れたところに、いつのまにかバイクが一台止まっていた。シールドをあげたヘルメットがこちらを見ている。それは白と鮮やかなライムグリーンに塗り分けられていた。バイクと同じ色調だった。GPZ900R、通称ニンジャ。すでに何年も前につくられたバイクだったが、いまだに若い連中の間では人気がある車種だった。
こいつは・・・。
さっきの追い駆けっこの相手のようだった。
私が見つめるなか相手がヘルメットを脱いだ。長髪のまだあどけない顔が出てきた。いかついバイクにはいかにも不釣り合いに見えた。まだ少年といってもいいぐらいだった。彼は私に笑顔を向けていた。だが切れ長の眼にその表情とは裏腹な感情の光が射しているように感じた。私の勘繰りだったろうか。
私は彼の笑顔に戸惑っていた。ついてきているとはまったく思ってもみなかった。先行車がいなくなって走りやすくなった道を思い切り飛ばしているだろうと思っていたのだ。それとも抜けなかった腹癒せに何かを企んでいるのか。私は少年の妙に静まり返った瞳に警戒心を抱いていた。
「それビーエムだろ?」
少年が聞いた。無視するわけにもいかない。私は曖昧に首を縦に振った。
「Kシリーズの1200RS。そうだよね」
もう一度首を縦に振る。
「雑誌では何度か見たことがあるけど、実物は初めてさ。やっぱ、でっかいねえ。それにその色、きれいな白じゃない。アニバーサリーモデルだよね」
再度首を縦に。
別に何かを企んでいるようでもなさそうだ。ただ私のバイクが珍しくてついてきたのかもしれない。
「何馬力だっけ」
今度は首を振るだけでは答えにならない。
「130」
私は無愛想に答えた。警戒心がとけてみると、不愉快な気持ちが頭をもたげてきた。あんなタイトなコーナーが連続する場所で仕掛けてくるなど非常識だ。そんな思いが口を重くしていた。
「馬力では勝ってんだがなあ。久しぶりだよ、あそこで抜けなかったのは」
彼のニンジャが私のバイクより馬力があるということは、かなりいじっているということだ。ノーマルのままでは逆輸入車でも130馬力を越えることはない。見れば定石どうり集合管に替えてある。エンジンにも手が入っているにちがいない。
「いまいち吹けがよくねえんだよなあ。プラグの替え時かなあ」
少年はそう言って自分の股の下にあるエンジンを覗きこんだ。
「あんな所で仕掛けるなんて、あんまり感心せんな」
私は出来るだけ低い声で言った。どすを効かせたつもりだった。だが言った後で少し怯んだ。どんな反応が返ってくるのか。
少年はゆっくりと頭をもたげた。苦笑いが口元を歪めていた。かなりほっとした。すぐに飛びかかってきそうにはない。
「よく言うぜ、きっちりブロックしてたくせによお。戦闘体勢ばりばりって感じだったぜ。金持ちの道楽バイクだと思ってこっちも油断してのが悪かったんだが、やられましたね、あっさりと。ああ、面白くねえ」少年はそう言って肩をすくめた。
「別に俺が勝ったわけじゃない。げんにここの進入路の手前で降参したろう」
「ああ、けどあそこまでが勝負所でね。ここの進入路の手前がゴールってことにしてるんだ。だから今回は俺の負け」
「勝ったも負けたもないだろう」
「あるね。そうでなきゃ、バイクで走ってたって面白くもなんともないじゃねえか」
「そんなもんでもないだろう」
いつの間にか会話が進んでいる。
「いいの。俺はそういう主義なの」少年はそう言いながらバイクから降りた。あどけない顔をしているわりにはよく育っている方だった。身長は私より5センチは高そうだ。彼はバイクの横に立って思い切り伸びをした。
「だが、仕掛けられる方の迷惑ってものもあるだろうが。誰でもがお前さんのようにレーサー気取りってわけでもないんだからな」
いつの間にか説教口調になってしまっていた。
少年は首だけをこちらに向けた。切れ長の眼に軽蔑の色が浮かんでいた。始めて見せる表情だった。
「素直じゃねえな、大人ってのは。あんた、俺が並びかけたときにスロットルを開けたじゃねえか。負けたくなかったんだろ、認めなよ」
私は答えに詰まった。確かにあの時私の手はスロットルを開けていた。本能がそうさせた。そう言っとくほかなさそうな行動だった。
何も答えない私を見て、彼はにやりと笑った。
おじさん、人間なんてそんなもんだよ。
その表情はそんなふうなことを語っていた。
ふたまわり以上歳が離れていそうな若者に諭されているような気がした。
そんなもんなんだよなあ。ため息が出そうなほど簡単に納得してしまう。
少年は自分のバイクから離れ私の方に歩いてきた。
なんだ? やはり身構えてしまう。
少年は私に流し眼をひとつくれて私の側を通りすぎ、駐車場の端に置いてある自動販売機の前で立ち止まった。コインを入れた。ゴンという音がした。そしてすぐに同じ音がもうひとつ。振り返った少年の手に缶ジュースが二つ握られていた。そのまま歩いてきてそのうちの一つを私に差し出した。
「本日の一等賞のトロフィー」
少年がまたにやりと笑った。歳のわりに世慣れたふうに見えた。
「あっ、ありがとう」私は突然つき出されたトロフィーに一瞬戸惑った後に手を出して受け取った。
「まあとりあえず、今日のところは一等賞だ。けど、今度はそうはいかないぜ。ここに走りに来るときにはミラーに注意しておいた方がいい。俺が映った瞬間には抜き去られているってことになるだろうからさ」
「お前さんと追い駆けっこなんてするつもりはないよ。あまり若くはないんだ、こっちの体力と神経がもたない」
「大丈夫だって。バイク乗りの体はすぐに火がつくようになっているんだから。歳は関係ないね。歳がどうのこうのって言う奴がバイクになんか乗るかよ」
少年はそう言って缶ジュースを一気に飲み乾した。上下に激しく動く喉仏がまるでピストンの動きのように見えた。そして彼は腹の中の空気を一気に吐き出すような深いため息をついた。
「あんたが十五台目になるはずだったんだ」
「十五台目?」
「そう、俺の撃墜記録。見なよ、俺のバイク。カウルんところに星印のマークが十四個並んでんだろ。あれがその証拠。今日もう一個印が増えるはずだったんだ。三日前までは連勝街道爆進中だんたんだがなあ。ミスったぜ。甘く見たのが敗因だな。けどそのビーエムって結構走るんだなあ。だいたいビーエムに乗ってる奴って、ケツにパンパンに膨らんだパニアケースなんかくっつけて、クルージングでございなんて感じでもたもた走ってるのが相場なんだけどな。腹なんかもガソリンタンクにつかえるほど出ちゃっててさ、前傾も満足にできねえって感じじゃない。あんなのバイク乗りじゃないと思ってたんだけど、あんたはちょっと違ったようだな」
「ビーエムに乗ってるのにも色々いるよ」私は缶ジュースをすすりながら言った。火照った体に心地よい。
「ま、そういうことか」少年が面白くなさそうに受ける。
それで二人の会話は途切れてしまう。
少年は自分のバイクの側にしゃがみこんでエンジンの様子を見はじめた。エンジンを外側から見たって何が分かるもんでもないだろうが、あんなふうに平気を装ってはみても、やはり私を負かすことが出来なかったのが悔しいのだろう。エンジンに小言を言うようにぶつぶつとつぶやいている。
「やっぱ、五年落ちの中古じゃだめなのかなあ」少年が立ち上がりながらそんなことを言った。それがいかにも悄然としていて、悔しそうで、負け惜しみくさくて、そして幼かった。つい言葉をかけてやりたくなった。私はバイクをおりて少年のほうに何気なさを装って歩いていった。
「それ中古?」
少年は側に立った私に視線を向けた。
「ああ。バイク屋の隅で埃をかぶってたやつさ。金なんてないからな。かっぱらうようにして手に入れたんだ」
「それにしては改造に金がかかっていそうじゃないか」
「結果的には、新品が一台買えるほどかかってるよ。借金だらけさ。バイト、バイトに明け暮れてるよ」
少年はポケットから煙草を取り出すと慣れた手付きで火をつけた。
「お前さん、いくつだい」私は少年に向かって言った。少年はなんでそんなことを聞くという顔をした。
「成人式を迎えた歳には見えないと思ってね」私はつづけた。
「へっ、これ?」少年は指に挟んだ煙草を私の方に掲げてみせた。にやりと笑う。
「煙草は二十歳を過ぎてからってこと?へっ、いいじゃない、そんなこと。もしかして、あんた、先公かなんかやってんの」そう言うと少年はこれみよがしに煙草を吸った。そして頬を膨らませ、指でつついて上手にいくつもの煙の輪を作ってみせた。緩やかな風にのって消えるでもなく漂っていく。私は知らずにその輪を眼で追っていた。
「どうだい、下りでもういっちょうてのは」少年が言った。唇は笑っていたが、目は笑っていない。
「御免こうむるね。あとしばらくは、そんな元気はでない」私は鼻白んだように答えた。
「あ、そう・・・。じゃあ、俺は行くわ。獲物がそろそろ集まりはじめる時間なんでね」彼は煙草を投げ捨てた。
「あんまり無理して飛ばしてると、怪我するぞ」
煙草のことといい、バイクのことといい、いかにも陳腐なことしか言えない自分に少しばかり苛立つ。そんな大人を軽蔑し、そんな大人になるつもりはなかったが、いつのまにかそんな大人になってしまっていたようだ。若いうちから煙草は吸わない方がいいし、バイクで命を粗末にするようなことも感心しない。だがそうだからといって、そんな正論を言ったところでこれぐらいの歳嵩の少年が、はいそうですかと素直にうなずくはずもない。同じバイク乗りならもう少し気のきいた言葉を捜してもよさそうだったが、目の前に若い危うさをつきつけられては、道路の方によちよちと歩き出した子供をひっ掠うように反射的に言葉が出てしまう。
私の言葉には何も答えず少年はヘルメットをかぶり、セルボタンを押した。静まりかえっていた風景に爆音が轟く。さらに彼は二三度スロットルを絞った。拒絶の意志が響きわたる。
ヘルメット越しにちらっと視線をくれて少年は走り出した。野生馬のいななきのように前輪が高々と持ち上がる。私は苦い笑いを顔に貼りつけたまま少年を見送った。




バイクを降りてしまえば、私はただのおっさんに過ぎない。
そのただのおっさんは、らちもあかない商品の広告の企画に四苦八苦して、コンピュータの前でディスプレイに浮かぶ文字の羅列に目をやっている。自分でも信じていない言葉の塊を、もっともらしくフローチャートに流しこみ、下向きや横向きの矢印で繋げると、一応の格好はつく。だがそこになんの意味もないことを、作っている本人が一番知っているのだから疲れることこのうえない。クライアントもそんなことは先刻ご承知で、信じてもいない者からの提案は、信じるつもりもない者の手に渡り、ロッカーの片隅で紙魚を養うための栄養になる。それでも不思議なことに事は進んでいき、途中にあいもかわらぬ茶番劇をはさんで、可もなく不可もない結果を生んで幕を閉じる。そしてしばらくすると会社の銀行口座に入金がある。よくしたものだと、いつも思う。
大きなあくびがひとつ出て、涙の向こうで歪んだ文字がアッカンベーをした。まあ急ぐわけでもないからとキーボードをうっちゃり、とっくに冷めてしまったコーヒーを西部の無法者のように顔をしかめて飲みこむと、涙がぽろりと落ちた。別に哀しいわけではない。
乱雑に積み重ねられた書類の山をかき分けて、その中に埋もれているバイクの雑誌をひっぱりだした。こちらもかわり映えのしない記事の羅列だが、それでもいつしか熱心に文字の流れを追ってしまっている。毎日仕事でバイクに乗れていいなあなどと、小学生がバスの運転手に憧れるようなことを思ったりする。
気がつくと一時間ほどがあっという間に過ぎてしまい、ディスプレイではスクリーンセイバーの飛行機が何十回目かの遊覧飛行に飛び立ったところだ。
見回すと机と合体したように身動きとれなくなっているのは中年男ばかりで、若いのはとっくに帰ってしまっている。中年男たちも仕事に追われているというよりは、なんとなく帰りそびれているという感じだった。まっすぐ家に帰っても寝るまでの時間、間がもてず、途中道草を食うにしても一人では寂しいし、誰かを誘うにしても何かきっかけが欲しい。そんなところだろう。
腕時計を見た。九時前だった。私はバイクの雑誌を書類の山の中に戻し、コンピュータの電源を切った。椅子の背もたれで皺くちゃにされたジャケットを取り上げ、洗濯物を干すときのようにジャケットの端を持ってパンとひと振りしてから身にはおった。
「帰るの?どう寄っていかない」
二年先輩のデザイナーが声をかけてくる。
「いや、今日は・・・・・」相手の視線を遮るように左手を顔の側まで上げてひらひらさせながら言った。今日、何かあるの?などという無粋な言葉は返ってこず、お疲れさんの挨拶がすんなりと返ってくる。
とっぷりと暮れた路上に出た。幹線道路から少し引っ込んだこのあたりに、すでに人通りもまばらだった。不景気の世の中だ。隣合うビルを見上げても電気のついているのはほとんどない。かつては不夜城のように電気代を浪費していたこのあたりの会社も、限られた資源を節約することを急に思い出したようだ。自分の会社を見上げても、未だに電気のついているのは制作室のある階だけになっている。さてあの中で電気代に見合うだけの仕事をしているのは私を含めて何人いることやら。肩をひとつすくめて地下鉄の駅の方に歩きだした。
幹線道路に出てその傍らにある駅への階段を降りようとしたとき、遠くの方から轟くような排気音が近づいてきた。 二気筒エンジンに特有の歯切れのいい音だった。下りの階段に一歩差し出した足を元に戻してその音のする方に目をやった。
真っ赤なドゥカティが信号に近づいていた。その独特のフロントマスクから916だということがわかった。もしかしたらその最新型である996だったかもしれない。排気量そのものを名前にするという即物的な扱いを受けているにもかかわらず、その車体のデザインは人がバイクに求める格好良さをすべて一人占めしているように思えるような姿かたちをしていた。
ドゥカティが信号に近づいたときに、信号が嫉妬したように黄色から赤に替わった。ひときわ甲高い空吹かしがひとつ夜の街に響き渡る。速さへの意志を阻まれたことにたいする抗議の声のようだった。よく磨きこまれたボディに街路灯の明かりが反射して、内部からぼんやりと発光しているようにさえ見える。ライダーは革のつなぎを着こみ、きつい前傾から体を起こしてまっすぐに前を見ていた。バイクの色に合わせた赤いヘルメットと白をベースに赤の隈取りを施した革のつなぎが、ドゥカティ乗りらしい気取りと野生を主張しているようだった。
たが少しやりすぎだ。中年の批評家はそう思う。
ウイークデーのそろそろ深夜に向かいにかかる少し弛緩した時間のなかで、そのドゥカティの回りにだけは緊張をはらんだ硬質な時間が、まだ眠るには早すぎると主張しているように流れている。いったいどこへ行こうとしているのか。夜のハイウェイを疾走しようというのか。それとも街を抜けて朝日が登るまで気のむくままに走りつづけるつもりなのか。いずれにせよ眠りへと流れつづけている時間にひとり抗って、自分だけの時間を一本の杭のように打ちつけようとしているように思えた。
回りには目もくれず前だけを見つめるその姿に、俺はお前たちとは違うという昂ぶりきった驕りと、個でありつづけようとする誇りを垣間見る。
ただしそう見えるのは私の視線の屈折のせいなのだ。それはわかっている。知らない者にはピエロにも見えかねない革のつなぎを着こみ、これ見よがしの外車にまたがって、嘲笑の的になってしまいそうなヒロイズムを肩のあたりに漂わせ、それでもどこか求道的なものを見てしまうのは私の身びいきな思い込みにすぎないのかもしれない。きっとそうなのだ。結局相手に自分の安っぽいロマンチシズムを重ね合せているだけで、その思いもリアリティを欠いたままの大甘のこんこんちきでしかない。信号待ちのドゥカティはただ単に近場のマンションに囲っている女の元に、格好をつけて向かおうとしているだけかもしれないし、盗んだバイクを故買屋に運ぶ途中であるかもしれないのだ。
バイクに乗っていることを何か特別なもののように思おうとするのは、バイクに乗っている者の特有な心理であり、そのことは取り立てて異常なことではないにしても、満員電車のなかで英字新聞を広げている男が放つ、やな感じにどこか通じるものがあるのも確かなことだ。あまりこれ見よがしは鼻につく。
だがそうだとは分かっていても、やはりどうしても特別なことだと思いたいという思いはある。峠道でバトルを挑みかけてきた少年にものの分かったふうな口をきいても、その少年の単純なまでの思いに対して笑い飛ばしてしまうだけの大人の分別があるわけではない。どこかに共感してしまう部分があり、自らも抜かされまいとスロットルをあおってしまうのだ。
信号が赤から青に替わった。
勤め帰りのサラリーマンの勝手な思いなどには一顧だにせず、ドゥカティは轟音をひときわ高く響かせて走り去った。あっという間に見えなくなったバイクが置き去りにしたクルマたちが、信号の連なりのなかをのろのろと前に倣えして進んでいくのを眺めながら、我もまたバイク乗りなり、と心の中でつぶやいてみる。疲れた心が少しだけ元気づく。




電車を一時間近く乗り継いで公団住宅が立ち並ぶわがねぐらまで帰ってきた。
クルマ用の駐車場もままならない公団住まいの身としては、自転車置き場の片隅にわが愛車を同居させてもらわざるをえない。小人の国のガリバーのように場違いな場所に置かれた1200ccのそれは、でかい図体をもてあまして、側に並んでいるスリムな自転車の群れに少し媚びているようにも見える。自転車の出し入れに明らかにそれは邪魔な存在であり、自転車の持ち主たちの険のある眼差しに晒されて、いたく誇りを傷つけられているかもしれない。
本来ならお前ほどの者ならば、屋根のあるガレージに大切にしまわれているのが筋というものだが、極端に偏った経済生活を送る持ち主には、まともな待遇で遇してやることもできない。老朽アパートに住みながら路上にベンツを停めているようなもので、他者の嘲笑をわざわざ買いに行っているようなものだということは分かっているつもりだが、自身の生活に見合ったレベルで慎ましく生きていくだけの分別があれば、そもそもバイクなどには乗らない。乗ってしまえば欲望は際限なく拡大し、五年ローンなどというシステムがあるせいで、傍目には似つかわしくないものでもなんとか手に入れることができてしまう。そんな高いバイクを買うぐらいなら、家を買う頭金にでもしろよとどこかの誰かがしたり顔で忠告してくれるが、家に跨って走りに行くわけにもいくまい。志すところが違うのだよと、とりあえずそのしたり顔には答えておく。
いつものようにバイクの側まで行ってカバーがめくれ上がっていないか確認する。最近はこの辺も物騒になって、原付きバイクばかりが二、三台立てつづけに盗まれている。手口は素人のものらしく面白半分のもので、大型のバイクまでは手をださないだろうが、それでも気にはなる。分不相応なものを持つと余計な心配をしなければならない。
バイクカバーにアラーム装備のステッカーがこれ見よがしに貼ってある。だがこいつをすっ転ばしてもうんともすんともアラーム音はならない。装置を外してあるのだ。以前風が吹いただけなのに深夜にけたたましい音が鳴り響き飛び起きたことがある。超過密の公団住まいゆえ、近所の耳もあるのでしかたなくアラームは外してしまった。ただ警告のステッカーだけは貼ったままにしている。これだけでも抑止力にはなるのではないかというつもりなのだが、今のところこいつに手を出した輩はいない。まあ効果はあると思っておこう。志すところは高くても、やっていることはかなりせこい。
風で少しめくれ上がったカバーを元の通りに戻してから、座席のあたりをぽんぽんと二度ほど叩く。いつもの習慣だ。別にたいした意味はない。走りたいだろうが、今度の休みまではおとなしくしてなぐらいのつもりだ。
週間天気予報では今度の休みの日は曇りとでていたが、雨が降らなければ走りにいくだろう。途中で雨がふったとしてもこいつのシールドはほぼ完璧に出来ているから、ずぶ濡れになるようなことはない。良くできた奴だとほとほと感心する。色々な状況でも安全かつ快適に走れるように考えられてある。ほとんど素人の腕では出せもしない最高速度を競い合っているジャパンメイドとは、やはり考え方がまるで違うと思わざるをえない。広告のキャッチフレーズやバイク誌の大見出しにはならないかもしれないが、つき合うほどにその良さが分かってくる。機械としての素性の確かさが、背筋がぞわぞわするような激しいものではないが、静かに体にしみ込んでくるものがある。
俺は本分を尽くす。お前さんもしっかりやれ。
そんなふうに言われているようにさえ感じられる。ガキのじゃれあいではなく、大人の男同士のつき合いのような、どこか緊張をはらみながら、それでいて芯の部分ではしっかりつながっている。互いに目線を交わすことはないが、見つめている方向は同じだ、というような感じがこのバイクにはあるように思える。
まあこれもこちらの思い入れが過ぎるということなのだが。
そんな頼もしい奴を自転車置き場の片隅に放置したままであるのはやはり心苦しいが、いつか宝くじにでも当たって一戸建てを買うまでは我慢してもらうしかない。
申し分けないなあ、甲斐性なしの相棒で。
ひょいと頭をひとつ下げて、哀しげな眼差しを投げてから私は部屋に続く階段を登っていった。
深夜番組などを漫然と見ていたせいで、土曜の朝の時計は既に十時を過ぎてしまっていた。目覚まし時計を睨みつけても時が返ってくるはずもなく、部屋の片隅にすっ転がした拍子にけたたましく鳴きだした。
すでに妻は一人で朝食を終えたらしく、テレビを見ながらコーヒーを飲んでいた。起こしてくれればいいのにと不満を言うと、起こしたけど起きなかったと視線をテレビに向けたまま言った。
窓際に寄って空を見上げた。予報どおりどんよりと重たい雲が空を覆っていた。新聞の天気予報でも降水確率は30%となっている。降るかもしれないし、降らないかもしれない。いつも走っている山沿いあたりでは雨に降られる確率はさらに高くなるだろう。さてどうするか。明日の日曜日にするかと思いはじめたとき、テレビで天気予報が始まった。ここらあたりのお天気マークは曇り。続いて夜半から雨が降りはじめ、明日は崩れる見込みとのアナウンスがあった。
明日は雨ですか。
トースターにパンを放り込みながら一人ごちた。焼ける間にも窓に寄って空を見上げた。西の空には今頭上を覆っているのよりは薄い色の雲がかかっている。
これならもつな。二、三時間走るぐらいなら雨に降られることもないだろう。今日は遅く出ることでもあるし、それでもいいだろう。
コーヒーを飲み終えるのももどかしく支度をはじめた。その様子を見て妻が雨かもしれないわよと言った。降らないよと、なんの根拠もなく答えた。妻は肩をすくめただけで後は何も言わなかった。
今日はそんなに遅くならないと言って部屋を出た。いつものように、気をつけてと妻がおまじないのようにつぶやく。階段を降りながら片腕を上げてその言葉に応えた。
外に出ると鼻をひくつかせた。雨の匂いはしない。煙草と排気ガスでいかれた鼻がそれほど効くとも思わないが、それでも気分的には少し安心する。西の空の雲もさっきよりは幾分薄くなったようにも思える。
バイクカバーを外すと白い巨体が現れた。曇り空の下でもパールホワイトの車体は内部から薄らっと光を放っているように見える。
これが俺のバイクだ。
いつものように満足気な薄笑いが口元に浮かぶ。傍から見たら気色悪いだろうが、本人はすでに一人の世界に浸り込んでしまっているからそんなことは気にもならない。
ヘルメットの紐を締め、革手袋をはめる。ただのおっさんがライダーに変身する瞬間だ。日常の延長線上から切り離され、日頃は感じなくなった驕りとか誇りとかその他色々の男の子の気持ちがよみがえってくる。まるでジェットファイターのパイロットが出撃前に感じるような気分。まったくもってお気楽な想像にすぎないが、映画とアニメとドキュメンタリーによって作りだされた仮構の気分のなかで、私はいつもの私ではなくなり、もうひとつの別の者になる。ヘルメットのシールドに隠されてはいるが、どんよりと曇った目に火が入り、心臓はいつものテンポよりはっきりとしたリズムを打ちだす。弛緩した筋肉には血液がふんだんに流れはじめ、しなやかさと力を回復する。所々断線したり、こんがらがっていた神経に電流が走り、自己修復していく。もしかしたらバイクに乗ることの楽しみの半分は、走り出す直前のこの気分を味わうためにあるのかもしれない。
空をもう一度見上げた。相変わらず雲に切れ目は見えない。かまいはしない。気持ちはすでに助走をはじめている。
セルボタンを押すとエンジンが目覚め、行くかと声をかけてくる。
ああ、行こう。
ギヤをローに入れスロットルを回すと巨体がゆるゆると動き、風が私のまわりで後ろに流れはじめた。



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