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作った人の顔が見えるものを、食べたい。(前編)

梅雨時は雨が降るからねえ。夏はべらぼうに暑かった。
そして秋は妙に心が騒いで、冬はこれまた寒いから・・・・。
そんな言い訳ばかりを連ねて、コラムを書くことを怠けてきたら、
年をとっくに越してしまっていた。
別に誰からも催促されるわけではないからどうでもいいようなものだが、
好きで始めておきながらそれはどうなのよと、自分が自分にあきれ果てはじめたから、
これはイカンとまたぞろ動き出すことになる。

人間は何かを食べないことには生きていけない。
それも毎日、毎日、朝昼晩と。朝食を抜く人もいるようだが、
どうも健康にも日中の活動にもよろしくないというリポートがあるようだ。
だから人間は三食を基本とするということにしておく。
その三食のこと。毎日の食事の中でいつも食べている食品のことを主食というのであるが、
それは国によって様々だ。ジャガイモの場合があるし、とうもろこしだという国もあり、
木の洞を穿り返して捕まえた蛆虫のようなものだという部族もありそうだ。
もちろんわが国では米ということになるのだろうが、
昨今、朝からご飯に味噌汁という人がどれほどいるだろうか。

食パン
ご飯がナンバーワンの地位を譲り渡すことは当分ないだろうが、
それに肉薄するものがある。ご存知のようにパンである。
朝はトーストという人たちはかなりいるのではないだろうか。
かく言う私もひなびた温泉宿にでも泊まらない限り、朝は毎日がトースト。
365日、朝はトーストばかりを食べている。袋を開けてトースターに放り込み、
焼けたらバターかマーガリンをつけて食べればいいのだから、
朝からご飯に比べて手間のかからないことこの上ない。妻たちの強い推進力があったのか、
アメリカの陰謀か、いつの間にか日本人の朝は米の炊ける匂いではなくて、
小麦粉の焼ける匂いで開けるようになった。夕食がスパゲッティとかうどんとか、
たまにはシチューなんて時もあり、ご飯を食べない時はあっても、
朝トーストじゃない日を数え上げようにも思いつかない。

それほどにパンは第二の主食と言っていいほどのものに既になっている。
ところで毎日毎日食している当のパンなのだが、
その味についてあまりこだわったという記憶がない。
まずければ食べないが、おいしい、おいしいといって食べるようなものでも
ないだろうと思っていた。主食というものはそういうもので、
ご飯についてもその味がどうのこうのと言ったことも考えたこともなかったように思う。
おかずについては誰しもがうまいまずいを言ったりするが、ご飯はそのようなものではなくて、
おかずとおかずとの間の息継ぎのような、句読点のような、
足りない部分を補う補完物のような存在で、どちらかというと無色透明な存在だとみなしていた。
それだからこそ毎日飽きずに食べられるのだとも思っていた。
ところがある日、そんな思い込みがあっさりと覆る。

ご飯
妻の実家の母が知り合いのつてで、
ある農家が自家消費用に取り除けていた米を分けてもらった。
そしてその農家の主婦の指示で炊飯器ではなく、
肉質の厚い鍋を使いガスコンロで直接炊いてみた。
するととてもうまかったというのである。
その情報を仕入れ、ついでに米までちゃっかり頂いてきた娘は、
さっそく試してみた。その娘の連れ合い、つまり私は懐疑的であった。
これまでも得体の知れないアジア方面からの米を
食してきたわけでもないのである。
それなりのブランド米を、さほど手抜きすることもなく炊事して、
いただいてきたはずで、キャーキャー騒ぐほどのことでもあるまいと高をくくっていた。
所詮米のことである。うまいといっても限度があると。
だが炊き上がったご飯を前にまず目を見開かされた。
ご飯の姿がまるで違う。白く透明で光の具合によればきらきらと輝くようであった。
粒も立っていてコロコロとしている。
うむ、これは・・・・。懐疑的な姿勢にぶるっと揺れがきた。
一口食べて、懐疑の鎧はばらばらと剥がれ落ちた。うまいのである。
それもすこぶる。おかずもいらず、ふりかけも海苔もいらず、
お茶をかけてかき込む必要もなく、ご飯だけを二杯ゆっくりと味わいながら
食べられるほどにうまかったのだ。以来そんなご飯ばかりを食べるようになった。
最初のような一撃はないものの、
以来ご飯とはうまいもんやなぁーとしみじみと思いつつ食べている。

パンの話であったはずが、ご飯の話になってしまっている。
必要があってのことゆえ、ご勘弁を。ここからそのパンのことになる。
第二の主食とも言うべきパンだが、
私の中では長くご飯と同じようの位置にあり続けていた。
つまりはうまいとかまずいとか言うような対象ではなく、
ま、そのようなものだろうと、関心の外にあった。
バターかマーガリンを塗り、またはジャムかマーマレードを塗れば、
パンの味などははるか向こうに後退してしまい、
焼いた香ばしいかおりぐらいが意識にのぼるかどうか。
ご飯のおいしさに目覚めた例があるのだが、
人間の認識などというものはそう簡単に飛躍するものではなく、
米でこうなら小麦粉ではどうだなどという問題意識はついぞわいてこずじまいだった。
それまでにも手作り系のパンは買って食べていたが、
その全ては菓子パン系で、食パンを意識して買ったことも食べたこともない。
つまりはおやつとしてパンを食べていただけで、
常食としての食パンは相変わらずメーカー製のものばかりだった。

024.jpg
ある日一軒のパン屋さんを訪ねて、
いつものようにおやつにでもしようと菓子パンを求めた。
だいたいどこの手作り系パン屋さんでもレジに立っているのは、
その店の女主かアルバイトの女性と決まっているのだが、
私の目の前に立って笑っていたのは、頭に白いタオルを巻いた男だった。
その背後にはパンの工房のようなものが見え、そこには人がいなかった。
見ると、服の一部に小麦粉らしきものも付いている。
ああ・・と思った。この人がパンを焼いているんだ、と。

人懐っこい笑顔というものがある。
走り回っていた近所のいたずら小僧が成人して、久しぶりに会って、
やあおじさんというような笑顔を向けられると、ついこっちも相好を崩してしまう。
パン職人という固定的なイメージとは異なるほのぼのとした風貌に、好意をもった。
どうも世の中には、そのような徳を持った人物が稀にいるようで、
一気に相手を自分の味方につけてしまう。ついこちらも誘われるようにしばらく話をした。
話した内容はもう覚えていない。もちろんパンにまつわることだったとは思う。
帰って買った菓子パンを食べた。うまかった。
だが誤解を恐れずに言えば、どんなパンよりもうまかったというわけではない。
美味しいと言われていて、それにつられて食べたどのパンにも決して劣ることはないが、
はるかに凌駕するというようなことはない。
ただあの男が焼いているのだと思うと、妙に贔屓する気持ちがわいてきた。

パンの職人さんが忙しそうに働いているのは立ち寄った店で何度か見たことがある。
そういう姿を見せるように工房をガラス越しに見えるようにしている店などもある。
ほらこんな風にしてパンを焼いているんですよというふうに。
だが作業の手を止めて、手を拭きながらレジに立つパン職人を見たことはない。
後で聞けばそのときたまたま奥さんの手がふさがっていて、
それでご主人がレジに立っただけであり、
いつもいつもそうだということでもないようだ。
だがたまたまにしても私は自分が食べるパンを焼いた本人に対面し、
言葉を交わしたわけで、そのことが妙に心に残った。

087.jpg
私たちは色々なものを買って食べている。だがそれを作った人に出会うことはほとんどない。
「このほうれん草は、○○県、□□村の吉田恵三さんが作りました」
なんてラベルが貼られていることがあるが、どうにもイメージ操作臭くて、
嘘ではないだろうが、作った人に出会うということとは少し違う。
お米の場合も、どこかの誰かが丹精をこめたのだろうが、
その人に出会おうと思えばかなりの距離を行かねばならない。
ところが、パンの場合にはそれがいとも簡単にできてしまった。
(つづく)


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